言の葉研究所

世の中の発言・名言・歌詞について考える

「それ、騒ぐ話か?」批判に対する考え方

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鴨頭嘉人さんのセミナー動画における一説。

 

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この時は、はあちゅうというブロガーの方を例に出してお話をされていました。

 

はあちゅうさんは20代の頃からブログを書いている女性で、アメブロが始まった当初からプロフィールに自分の顔写真を載せていたそう。

それに対して、「お前は自分が可愛いと思ってるのか」「ブスが」というコメント1日に5,000件も殺到したとのこと。

自分はそこまでブスなわけないと思い「ブス」と検索したら、1枚目に自分の写真が出てきて、当時のはあちゅうさんはさすがに泣いたそうです。

 

しかし…

 

その後、はあちゅうさんはブログにこのようなことを書いたそうな。

 

「みんな私の悪口をブログに書きなさい。そうすれば、私は売れるから。私の情報が世の中に届くから。」

 

こんな悪口言われるならやめる!となってもおかしくないのに、逆に飛び込むという、逆転の発想ですよね。

 

結果、彼女は大ブレイクしたそうです。

 

以下、鴨頭さんの台詞。

 

そういう人がいると思うと、どう?

 

結構しょぼくないか?我々が日々「ちょっと傷付いた」とか言って

 

例えば上司に「お前何考えてるんだ」って否定されたって

 

騒ぐ話か?

 

世の中では目立っている人ほど批判にさらされている。

それこそ、自殺に追い込まれてしまうようなケースもあります。

 

批判する側にも問題はありますが、自分の身はできるだけ自分でも守りたい。そうですよね。

だったら強くありたい。いや、つーかそれ、騒ぐ話か?ってことですね。

 

ちなみに批判コメントで思い出したのが、かのホリエモン

彼は歯に衣着せずに話すために刺激的な発言も多く、批判コメントももちろんたくさんあります。Twitterでも多く受け取るそう。

 

まあ、ホリエモンの場合は別に気にしてないのかなーと思うのですが、ある時に批判してくるアカウントをブロックしたそう。

で、50アカウント程度ブロックしたらほとんど無くなったとのこと。

 

あのホリエモンですら50アカウントですよ? 私の、あなたの影響力ってホリエモンの何分の1でしょうか? 100分の1? だったら一人もいませんね。1000分の1? だとしたら、批判される方が奇跡と言っていい確率です。

 

世の中には驚くほど批判される人がいる。1日5,000コメント批判されてる人がいる。

 

だったらあなたへの数少ない批判なんて、騒ぐ話か?

 

また、ホリエモンを批判してるアカウントですら50アカウント程度である。母数は非常に少ないのだ。

 

ごく少数の批判だとわかったら、いちいち騒ぐ話か?

 

真に理解すれば、批判なんて気にしなくてよいのかもしれませんね。

頑張らないとは、自分は大丈夫と認めること

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頑張らない生き方をしよう。努力をやめて、気を楽にして、これまでの頑張る人生から頑張らない人生にシフトしよう。

 

スピリチュアル界隈ではそのような表現がよく出てくる。

 

その是非を問うというよりは、むしろ是であることが少し腑に落ちたというお話。

 

頑張らずに生きていきましょう、といっても抵抗があるのは、「そうはいっても、今頑張ってることいきなり止められないし」というような状況だろう。

 

実際、じゃあ仕事頑張るのやめますといって突然仕事を辞めても生活に困るし、家事頑張るの止めますといっても結局は家族や自分にツケが回ってくる。

 

とりあえずやめてみることでスコトーマが外れ、道が見えてくるという苫米地さん的な考えもあるので間違いとは言えないが、自分だけの問題ではなかったりもするので中々そこまで踏み出せないのも事実だ。

 

つまり頑張らないというのは、「今までやっていたことをやめる」「なにもしなくなる」という風に認識されがちである。

 

しかしこの認識が誤っていた。「頑張らない」には異なる解釈があるようだ。

 

頑張らないとは、ただ何かをやめることではなく、自分を認める姿勢、自分が事に当たる時の姿勢の話なのだ。

 

それを教えてくれたのが、最近見ている中村咲太さんの動画。

 

この中で彼が言っていることを要約すると、「頑張らないとは怠けることではない」「行動はする。その時の意識、気持ちが頑張らないということ」という内容である。

 

そもそも人が頑張る理由というのは、「現状を良くしたい」とか「人から認められたい」といったことではないだろうか。得てしてそれは、「今の自分のままではダメだ」という背景につながっている場合がある。

 

そのような意識ではエネルギーが弱いし、引き寄せの法則的にも「ダメだ」を繰り返しやすく、ずっと頑張らないといけないということになる。

 

だから、「もう大丈夫」「自分は大丈夫」「自分は神である」という意識に立ち戻る必要がある。そこからの行動は、ただ楽しんでやる、に変わる。

 

かの小林正観さんも、全体を通して発信していたメッセージは「受け入れること」そして「頑張らない、努力しない」であった。

 

そんな事を言いつつ本人は年間何百回も講演されていて、それ頑張ってるんじゃないの?と思ってしまうところだが、正観さんは頑張る意識で講演をしていなかった。講演会はダジャレばかり、使命感のなさは日本一だと言っていた。

 

その背景として「宇宙のシナリオがある」「それを受け入れる」という意識があり、だからこそ「自分は大丈夫」「自分は神で、宇宙の一部である」というような感覚にもなり得るのだろう。

 

ちなみに若干話は飛ぶが、YouTube講演家の鴨頭さんのアプローチはオンラインサロンにて「究極の依存先を作る」だった。

子供はなぜ失敗ばかりしても何度も挑戦できるか。それは、心配して励ましていつでも味方になってくれる母親の存在=依存先があるからである。鴨頭さんのオンラインサロンでは心良き仲間が集まり、みんなで励まし合い、何があっても大丈夫だという究極の依存先なのだ、という。

 

アプローチは違えど、目指している状態は同じだ。大丈夫だ、と思えることが一つのゴールなのだろう。

 

それにしても、こう考えると一般の常識とは逆説的で面白い。

 

何かを得たかったら、頑張って努力して手に入れるべし、というのが普通の考えである。

しかしこの考えに照らし合わせると、何かを得たかったら、「得られなくても大丈夫」と考える。一旦、諦める。そこからの行動はエネルギーが強い。だから、得られやすい。

 

昔から「生活のかかったギャンブルは成功しない」とも言う。このような時は大丈夫とは考えづらい。そして、大丈夫から遠いほどに執着が生まれてしまう。

 

まさに「執着を手放す」とは「大丈夫と思える」状態を指すのだろう。ある意味では「足るを知る」という格言にもつながっていることだ。

 

頑張らないとは怠けることではなく、自由な意識で行動するということ。大丈夫であると理解すること。

アプローチは様々あるので、自分に合った表現をしてくれる師を見つけると良い。共通して目指すのは、「自分はそのままでも大丈夫」という感覚を得ることなのだ。

 

そのようにサポートしてくれる人が増え、もっともっと生きやすい世の中になることを願ってやまない。

「青春はどどめ色」ってどんな色? 藤井風 "青春病"

藤井風がリリースした"青春病"の一節に、「青春はどどめ色」というフレーズがある。

 

どどめ色ってどんな色なのだろう?と思った人も少なくないのではないだろうか。筆者もその一人だ。

 

調べた結論から言うと、そんな野暮なこと聞きなさんな、である。おそらく本人に聞いてもそのようなコメントが返ってくるのではないか。

 

まず、「どどめ色」というのは方言である。地域により指しているものは異なるようで、共通的に「この色」という固定的な色の概念はない。

 

ただ、一般的には桑の実のようなどす黒い色を指すようで、青ざめた唇や青アザの表現を指すこともあるなど、抽象的に「ネガティブを指す色」であるようだ。

(地域によっては卑猥な意味合いもあり、タブーに近いのだとか。)

 

こんな色。(一例)

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もはや、黒である。

 

さて、例えばアンケートをとって「青春を色で表現してください」と言われたら、皆さんはどのような色を描くだろうか。

 

純粋無垢であるという感じ。甘酸っぱい感じ。若々しくて、まだ未熟で、青臭い感じ。

 

おそらく、青を中心に青緑や黄色などを用い、爽やかな色で描かれることが多いのではないだろうか。

 

では、藤井風さんの答え↓

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藤井風は「どどめ色」である。爽やかな色とは程遠い。そこには、忌むべきものという意思すら感じられる。

 

藤井風さんはまだ23歳という若さ。いまも青春の最中と言ってもいいのではないかとおっさん目線では思ってしまうが、彼の精神年齢はもっと高いのだろう。

 

この曲から感じられる迷いには理想と現実の乖離があり、現実世界での経験量が彼の精神に追い付いていないのでは…とすら思える。

 

その迷いを断ち切りたくて、青春に名付けた色が「どどめ色」。もう、そんなものに執着しない、惑わされない。わしはもっと次のステージに行くんじゃ、という魂の叫びが聞こえてくるようだ。

 

迷いながらも前に進もうとする藤井風さんの今後の活躍にますます目が離せない。

本当の幸せとは。槇原敬之「ただただ」が、ただただ名曲

槇原敬之のアルバム「Design & Reason」に収録されている「ただただ」という曲が、非常に耳に残る名曲。

 

アップテンポの爽やかなメロディー、サビ部分で入るコーラスなど、「ああ、マッキーだなあ」「マッキーのファンやっててよかったなあ」と改めて感じさせられてしまった。優しい曲調、そして優しい歌詞。安心して聴くことのできる、マッキー節全開のナンバーである。

 

この曲のサビ部分の歌詞は次のようになっている。

 

世界がどうだとか
他の人がどうだとか
それも大事だけど
今日は君と僕が
同じ時に同じ空
見て綺麗と思えた
そのことが嬉しかった
ただただ

 

人は高尚なものを求めたがる。高尚なものが正しい道と信じ、高尚な生き方をしようと努力し、高尚な人を偉いと感じたり、逆にそうでない人を蔑んだりもする。

 

マッキーこと槇原敬之さんは現在、歌手生活において二度目の薬物による有罪判決を受け、執行猶予期間中である。

一度目の薬物による逮捕劇の後は無事に復帰を果たした。多くの反省とともに彼の考え方は大きく変わり、楽曲や歌詞も大きく変わった。これまでの恋愛ソング等から一変し、人としての生き方や考え方に焦点をあてたような楽曲が多くなった。それこそ、俗世間に惑わされずに「高尚な生き方をしよう」という彼の意志を感じた。

 

しかし、この曲はただ目の前にいる「君」と「僕」が、同じものを共有した。そんな些細な幸せがただただ嬉しかったんだ、という原点に返るかのような歌詞になっている。

 

正しい道を追い求めたり、難しいことは色々あるけれど、いまこの瞬間に人と何かを分かち合える。それが、幸せだったのかもしれない。そんな素朴なメッセージである。

 

これを見て、私は「夢を叶えるゾウ」でおなじみの水野敬也さんの本の一節を思いだした。

 

内容を立ち読みしただけで一部しか覚えていないが、次のようなストーリーだった。

 

とある、会社員をしているしがない男の話。

彼は現状に不満を持ち、いつか成功したい、夢を叶えたいという思いはありながらも、能力も勇気もなく、悶々とした毎日を過ごしていた。

自分の人生は、つまらないものだと思っていた。

 

そんな中、彼は近いうちに天国に旅立つことが決まった。

明日には死んでしまうくらいの早さで、人生に幕を下ろすことが決まった。

 

そこで彼は思った。

前に、スーパーで材料を買って、鍋をして食べた。

些細な幸せだが、おいしかった。あのおいしさを、死ぬ前にまた味わいたい。

そんな風に思うと、日常の些細なことが、とても幸せに思えた。

 

自分の人生はつまらない人生だと思っていた。

つまらない人生だと思っていたが、実は、その人生は幸せで輝いていた。

死の淵において、つまらないと思っていたこの人生を続けたいと、はじめて思った。

自分の人生はつまらない人生なんかじゃなく、幸せな人生だったんだ。

 

記憶違いがたくさん含まれていると思いますが、おおよそこんなストーリーです。

 

いい話ですよね。私は立ち読みでしたけれどウルッと来ちゃいました。

 

↓確かこの本だったかと…

 

 

思わず敬語になってしまいましたが、このマッキーの「ただただ」も、日常の些細な幸せがただ、嬉しかったんだという、それが本当の幸せだと気が付くほどに、思わす泣いて噛み締めたくなるような幸せを指しているように思います。

 

マッキーが同じものを共有してただただ嬉しいと感じた。この「ただただ」は、もう言葉に表現できないくらい、彼の中でじんわりと感じられたもので、主人公の目からは思わず涙がこぼれている…そんな情景が浮かんできます。

 

そんな泣ける名曲「ただただ」、ぜひ多くの人に聴いてもらいたいなと思いました。

 

 

藤井風「最初から何も持ってない」

アルバム「HELP EVER HURT NEVER」に収録されている「帰ろう」という曲。

 

人の持つ様々な執着から解き放つような、悟りを開いた人が説いているかのような深い歌詞なのですが、私が特に心を打たれたのがこの部分。

 

怖くはない 失うものなどない

最初から何も持ってない

 

これを見て、明石家さんまさんの次の名言を思い出しました。

 

人は裸で生まれてくる。

死ぬときにパンツ一枚履いてれば勝ちやないか!

 

表現は違えど、言っていることは同じ。このようなシンクロを見るたび、やはり人が辿り着く真理というものがあるんだなあと私は感じます。

 

様々な自己啓発本などで同じ主旨の内容は言及されており、私も頭では理解していたのですが、今回はこの藤井風さんのメッセージが深く刺さりました。

 

それは、この藤井風大好きフィルターのせいかもしれません。だとしても、気付かせてくれた藤井風さんに感謝です。メッセージは与えられていても、人間はそれを受け取るタイミングや師を選ぶのだな、ということを感じました。

 

失うものなどない。最初からなにも持ってない。

いま、私が所有していると思っているもの。お金、家、車、職業、地位、才能、肉体、友達、家族…

所有していると思っているが、いつかは手放すもの。天国に帰る時には持っていけないもの。一時的な幻なのかもしれない。

そして、天国にいつ帰るかはわからない。明日かもしれない。だったら、持っているものは持っていないようなものだから、思い切り人生をチャレンジしよう。楽しもう。

 

もったいない、常識と違う、人から笑われる、恥をかいてしまう。そんなエゴの言う事は、捨てる。自分の信じる、自分がやりたい道を進むのだ。

そのような力強いメッセージを感じる素敵な歌である。

藤井風はシャア・アズナブルだった

藤井風さんが2曲の新曲をリリースしました。

 

"へでもねーよ"

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"青春病"

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この"へでもねーよ"の歌詞は、人間関係の苦悩を感じさせるものとなっており、「藤井風も人間だったんだな」と、いい意味で安心するような内容に仕上がっております。

以下、歌詞について一部抜粋。

 

野菜ばっかの生活しょんのに
腹が立つことちょっくらあんのは
カルシウムちと不足しとんじゃわ
おどれ(怒)

 

~中略~

 

あんたの軽ぃキック へでもねーよ
あんたの軽ぃパンチ へでもねーよ
あんたの軽ぃブロウ へでもねーよ
へでもねーよ バカじゃねーよ
あんたの軽ぃディス へでもねーよ
あんたの軽ぃヘイト へでもねーよ
あんたの軽ぃマウント へでもねーよ
へでもねーよそれでえーの?
帰れ うちへ帰れ
黙れ しばし黙れ
騒げ よそで騒げ
騒げ

 

これまでの神目線のような歌詞や人物像から妄想してしまっているので、藤井風でも腹が立つことがあるのか!?と思ってしまうが、藤井風も一人の人間であるということを感じさせられた。

 

才能豊かであっても、いや才能豊かであるからこそ他人の目に晒される機会があり、多くは称賛の声だとしても、一部からは責められ、揚げ足をとられ、ディスられ、アンチが湧くということがあるのだろう。

 

この曲はそのような「反対意見」をテーマにしており、それに苦悩していると同時に、それを跳ねのけられる強い自分でありたい、というメッセージが込められているように思う。

 

今年メジャーデビューを果たして短期間であっという間に有名人、とも言えるほどメディアに取り上げられ、急変化の最中にある彼だからこそ強く感じる所があるのだろう。(私はそんな藤井風を応援したい人間の一人だ)

 

ところで彼はこの新曲リリースに際して、YouTube投稿にて以下のようなコメントを残している。

 

今しか出せない最強の2曲をリリースさせてくれてどうもありがとう。

Thank you for letting me release 2 baddest songs at the moment.

 

日本語では「最強の2曲」としているが、合わせて書いてある英語では「最悪の2曲」である。そして、「今しか出せない」と言っている。

 

「今しか出せない」とはどういうことか。私はこれを、「今の年齢だから」つまり「まだ未熟だから」ということではないかと感じた。最悪の2曲というのは、未熟さ故にネガティブな心境になったりこんな状況は「最悪だ」ということなのではないだろうか。

 

先ほどの"へでもねーよ"は、アンチに苦しみながらも自身の成長を願っている曲である。そしてもう一曲の"青春病"については爽やかな曲調だが、こちらの曲は「青春にサヨナラを」という主題となっている。言い換えれば、「若くて青臭い日々を卒業しよう」ということではないだろうか。つまりこの2曲を通しての藤井風のテーマは「未熟さからの解放」。より高い精神性を持った大人になりたい、という彼の意志を感じさせるものとなっている。

 

要約すると、アンチに苦しむ藤井風の心境は次のようなものだということだ。

 

認めたくないものだな…自分自身の若さ(未熟さ)故の苦しみだということを。

 

シャアか!?藤井風は、シャア・アズナブルだったのか!

 

若いのにこのカリスマ性、実力、色気、魅力、カッコよさ、そして高い精神力。うーん、考えてみれば中々に納得である。

 

様々な現実を受け止めながらも、より大きな視点から大きくあろうとする藤井風から今後も目が離せない。

藤井風「恥とプライドを捨てる」

 

YouTubeライブ配信第一弾にて、「何で英語が上手なのか?」との質問に対する藤井風さんの回答。

 

英語はもう耳コピ

発音を真似して、恥を捨てること。子ども扱いされてもええから、恥とプライドを捨てて。

わし日本語も下手くそじゃけん、失うものがないんです。

 

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藤井風さんは流暢に英語を話す。ネイティブから見ても綺麗なのかどうか私にはわからないが、とても自然に話している。

その理由は、恥とプライドを捨てて何度も練習したからである、という。

 

そんな藤井風さんのライブ配信を見ていると、英語に限らずこの人は恥とプライドを捨てているんじゃないか、と思う。なにしろ高校ジャージだし座り方も適当である。配信をしっかりきっちりやろう、という堅苦しさもない。

 

しかしそれは、決してどうでもいいとか投げやりであるという訳ではなく、自分は大したものではないから、そんなプライドにはしがみ付かず、人から見れば恥かもしれないが、今の自分を素直に表現していく…という姿勢があるのではないだろうか。そして、その表現の中には愛がこもっている。

 

まだ23歳という若さ。類稀なる才能。間違いなく小さい頃から評価されてきたし、数々のビッグイベントにも出演しているし、メジャーデビューも果たした。血気盛んな若者として有頂天になったとしても何ら不思議はないのだが、その最中にあってこの謙虚さ、この少年のような素直さと愛である。藤井風の最大の魅力と言ってもよいだろう。藤井風よ、あなたが神か…。