言の葉研究所

世の中の発言・名言・歌詞について考える

小林正観「未来が確定的に存在している」

f:id:aposke:20220219120022j:image

 

この話は小林正観ファンとして知っている話でしたが、講演CDで改めて聞いたものをシェアしたいと思います。

 

小林正観さんの娘の話。

 

娘さんが大学受験の時期。

偏差値は45〜50くらいで、ものすごく頭が良いというわけではなかったそうです。

それで、同程度のレベルの大学を4つほど受けた。

 

結果は、3つから不合格の通知が来て、1つだけ合格した。

その大学は本命ではなく、滑り止めとして受けていた大学だった。

しかも試験成績が良くて合格したのではなく、定員割れによる合格だった。

 

娘さんはその大学に行くことにした。

でも、もうひとつだけ受験をしたいと父親(正観さん)に相談した。

しかもその大学は偏差値68の、合格する可能性などまずない大学だった。

 

それでも受験したかった娘さんの理由は、

将来、いま行こうとしている大学に入った理由を「頭のいいあの大学を受けたんだけど、ダメだったので仕方なくなのよ」と言いたいからなのだとか笑

 

そして、その大学を受験した。

 

しばらくして、結果が返ってきた。

 

合格だった。

 

果たしてこれは何が起きたのでしょうか。

 

そしてなんと小林正観さんは、その大学に行くことを5年前から知っていたという。なので驚かなかったそうです。

 

学力から考えても合格するはずがない。もちろん裏口入学でもない。

 

しかし、未来は確定的に存在していた。

そのために奇跡が起きた…ということなのでしょう。

 

この話を聞いて、こう問われると思います。

 

じゃあ何をしても、ジタバタしても無意味なのか?

 

小林正観さんの答え。

 

半分は合っていて半分は違う。

 

ジタバタしたことによって、そのような結果になった。なので無意味ではない。

 

しかし、ジタバタするかどうかも既に決まっているので、結果は決まっている。

 

ここからは、私の解釈です。

 

条件など整っていないように見えるのに、大学に合格するという奇跡が起きた。

だから、努力するのは関係がないようだ。

これが、娘さんの一例。

 

一生懸命勉強して学力がついた。そして、大学に合格することができた。

だから、努力する事には意味がある。

これが、一般論。

 

でもこれは、どちらも本質的には同じ事なのではないだろうか。

 

大学に受かることが決まっていた。努力するもしないも決まっていた。奇跡が起きるのも起きないのも決まっていた。

 

ただ一人一人それぞれのシナリオがそのように動いて、それを体験しているだけ…

 

何も考えずに生きていればいいのか。おそらくそれでよい。考えるも考えないも自由で、でもそれも決まっていて、予定通り。

 

こういう話に辿り着く人は、何も考えなくていいですよ…という道が与えられているので、それでいいのかもしれない。

考えまいとしても、シナリオ通りであれば考える羽目になるので、何も気にする必要はないのかもしれない。

 

あっちがいいとか、こっちがいいとか、好きなように選んでいいけれども、結果はもう気にしなくてよい。

望み通りの結果になるもの、ならないもの、色々あると思うが、全てが予定通りで、神の視点から見た時には一つも間違いがない。

というか正しいや間違いの概念すらなく、ただその一つの真実しかない。

だから信頼して、人生を楽しみましょう。

 

そんな風に思い切ることができたら、過去の後悔もない。未来の心配もない。余裕を持った人生を送ることができて素敵だな、と思います。